未来に希望を持ちながら死を願うということ
死にたい、こう思わない日は無い。
ただそれは未来に全く希望を持てないからそう思っているわけではない。
私は将来は海外に住みたいと思っているが、それは海外に行けば人間関係も上手くいって、身体的なコンプレックスも消えて幸せになれるという甘い夢を心の奥でもっているからだ。
将来を悲観しているわけではない。ならなぜ死にたいのか?
それは未来ではなく過去の自分に対して不満をもっているからではないのだろうか?
自分は醜くて怠惰で性悪などうしようもないやつだ、だからあんなことをしてしまった、こんなこともしてしまった…
過去の出来事に対して過剰に自己嫌悪に陥った結果が「死にたい」なのではないだろうか。
だとしたらこれは下手したら一生続く問題かもしれない。なぜなら今日という現在は、明日になったら過去になり、自己嫌悪の悪魔のせいで本来ならなんということのない平凡な日も自分を殺すにふさわしい「恥ずかしい過去」に作り変えられてしまうからである。
しかし、この現象を断ち切る術がないわけではない。
自分の中にある自己嫌悪の悪魔を追い出し、地に落ちた自己肯定感を日の当たる場所に連れ出してあげればいい。
ただこれが分かることと出来ることは全く別である。すくなくとも私にはまだ無理。
めっちゃ自己肯定感ってググったよ
快子