陰キャだって旅がしたい!

海外逃亡したいメンタル豆腐系女子大生が書く

寂しすぎて出会い系でひとまわり年上の人と会ってきた

 

お久しぶりです。快子です。

 

相変わらず、ちょっとしたことで死にたくなっちゃうかんじで生きております。

 

日々死なないために、駅のホームの黄色い線を踏み出さないように気をつけているのに、それすらも間違っているような気がします。

 

さて、先日寂しさと性欲が爆発して出会い系サイトに登録しました。

 

結論からいうと自分よりひとまわり年上の人と会うことになり、ホテルも行き、素晴らしい時間を過ごすこととなりました。

 

その時に思ったことを適当に書いていきたいと思います。

 

まずは会ってみて分かったこと。自分で思っているより私は人の温もりに飢えているらしい。

 

他人の心臓の音があんなに心地いいものだとは思いもよりませんでした。正直、その後は早く終われ以外の感情が湧かなかったのだけれども…

 

出会い系なんてインスタントの恋愛ごっこだと思われているかもしれないし、実際私も同意できる部分もあるが、私の死にたさを軽減してくれたのは自己啓発本でもセルフメディテーションでもなく生身の人間でした。

 

逆に言えば、一体どれほどの若い女の子がこの寂しさという病気に侵され本名も知らない男たちに体を預けているのだろうか。これが2つ目に感じたこと。

 

ひとまわり年上の彼と会ってまず食事に行った時のこと、彼が今まであった女性たちや出会い系サイトの提示版の内容について話してくれた。(同性の登録者の投稿は見れないため)

 

曰く、18.19や20代前半の女の子は金銭目的ではなく純粋に体の関係ありの友達を求めているが、20代後半以降になると援助交際などの金銭目的の投稿が増える、というのだ。

 

私もお金目的ではない人肌を求めてサイトに登録した20歳の女だが、なぜこのような傾向があるのだろうか?

 

私のようなメンヘラだかうつ病だかわからないただ病的にさみしい女は、お金になど興味を持たないからではないか。それよりも自分を包んでくれる無償の愛を欲しているのかもしれない。

 

その無欲な姿は、一見無垢で可愛らしく思えるかもしれないが、その実態は愛という伝説上の宝をもとめてさまようゾンビである。

 

深入りするとパンデミックのように自分も承認欲求ゾンビになっちゃうので気をつけてね。

 

快子

 

 

 

異分子であること。

イギリスはロンドンにいる快子です。

 

私は今テムズ川の下の下ロンドン郊外のタルスヒル というところにあるゲストハウスに泊まっています。

 

ついて驚いたことはとにかくアジア人がいないこと。

 

感覚としては黒人の人と白人の人とラテン系の人の比率が5:4:1くらいかな。

 

だからかな街を歩いているとすごくみられる。

 

こんな場所では自分が異分子であること、マイノリティであることを考えざるを得ない。

 

日本にいったて異分子だし海外に来ても異分子。

 

だったら私はまだこっちの方がいいかな。

 

考えがまとまらなくてごめんなさい🙇‍♀️

 

快子

さわやかな孤独

飛行機の中で思うこと。

 


もう戻れない。飛行機の中でいつもこう思う。

 


それはどんなに近い場所でも思うし、パッケージツアーでもバックパックを背負っている場合でも。

 


もう戻れない、という心の声にはいろんな感情がこもっているように思える。

 


旅への不安、家族や友人と別れる寂しさ、でもその中に日常のつまらない鬱屈した気持ちを脱ぎ捨てられるような、つまりある種のさわやかな孤独感を感じる。

 


日本にいると自分は社会的な身分と家族的な歴史と他者からの認識で成り立っているように感じるが、旅ではそれらを脱ぎ捨てることができる。

 


その結果、潔さというかなんというか、自分には本当にこの身体しかない、身体しか持っていないという気持ちになる。

 


その理由を考えて見ると、一つ案が浮かんだ。

 


人間はまだ火を持たなかった頃から獲物を追って日々旅をして生きてきたわけで、旅をするのが当たり前だった。

 


そのあと農耕が始まって定住するようになって、人間関係や社会の関係もより重要に、濃密になっていったわけだけど、旅をするっていうことは原始の時代をある意味思い出させるのかも。

 


つまり身体>心の時代に。

 


だから旅に出たらいつもより身体の声を大切にしないといけないなぁと思う今日の飛行機の中でした。

 


エアロフロートから

 


快子

人生賢者タイム

 

将来、仕事、家庭、お金。

 

人生にはどうも現実的で避けられない問題がやまずみのようだ。

 

これに直面し、自分の将来に暗い穴を見るとき、私は「賢者タイム」と呼んでいる。

 

賢者タイムの元々の意味はご存知の通り致した後のやけに冷静になる時間のことだが、人生においても虚無感に襲わられる時間はある。

 

解決策描こうとしたけど思いつきませんでした。残念

 

快子

 

 

他人のキラキラに打ちひしがれた日には

 

ツイッター、インスタグラム、ブログ。いまは自分を表現する手段はたくさんあるけれど、表現するほどの中身がない人間だってここにいる。

 

他人のキラキラが憎い。

 

なんでそんなに毎日アクティブにいろんなことに挑戦できるの。そしてそれを続ける努力ができるの。

 

私は何もない。何もしない。何者にもならない。

 

しんどいよ。早く何かキラキラしたいよ。

 

例えそれが幸せじゃなかったとしても

 

快子

未来に希望を持ちながら死を願うということ

 

死にたい、こう思わない日は無い。

 

ただそれは未来に全く希望を持てないからそう思っているわけではない。

 

私は将来は海外に住みたいと思っているが、それは海外に行けば人間関係も上手くいって、身体的なコンプレックスも消えて幸せになれるという甘い夢を心の奥でもっているからだ。

 

将来を悲観しているわけではない。ならなぜ死にたいのか?

 

それは未来ではなく過去の自分に対して不満をもっているからではないのだろうか?

 

自分は醜くて怠惰で性悪などうしようもないやつだ、だからあんなことをしてしまった、こんなこともしてしまった…

 

過去の出来事に対して過剰に自己嫌悪に陥った結果が「死にたい」なのではないだろうか。

 

だとしたらこれは下手したら一生続く問題かもしれない。なぜなら今日という現在は、明日になったら過去になり、自己嫌悪の悪魔のせいで本来ならなんということのない平凡な日も自分を殺すにふさわしい「恥ずかしい過去」に作り変えられてしまうからである。

 

しかし、この現象を断ち切る術がないわけではない。

 

自分の中にある自己嫌悪の悪魔を追い出し、地に落ちた自己肯定感を日の当たる場所に連れ出してあげればいい。

 

ただこれが分かることと出来ることは全く別である。すくなくとも私にはまだ無理。

 

めっちゃ自己肯定感ってググったよ

 

快子

line開けない症候群

普段当たり前のように使っているメッセージアプリlineを開くのが怖い、と思っている人はいるだろうか。

 

少なくとも私はものすごく怖い。Lineを開かないといけない、と感じるたび死にたくなる。

 

AD/HDの先延ばし癖かどうか分からないが、とにかくLineの返信をすることがめんどくさい。返信しないと罪悪感がたまる。もっと開きたくなくなる。そして相手から最速または怒りのメールがくるのだ。

 

そんなものを見た日には1日30000回くらいは死にたいと感じる。

 

決して誠意がなかったり相手を大切に思っていないわけではない。只々、Lineというものが怖い。それをわかって欲しい。

 

未読メールが180通溜まっている夜に

 

快子